「魔術」の目的については人によって争いがある。共同体の魔術としては、五穀の豊穣、国家の安寧秩序(護国・鎮守)、外敵の排除等々があろう。しかし、私達の共通の関心事である魔術は、より神秘主義的であり、より個人的である。
神秘主義的で個人的「魔術」の目的は、安心立命、あるいは大いなる平安、完全なる自由への解放であると私は考えている。英語で言えば、 Perfect Happiness, Perfect Liberty, Perfect Peace, The Unfoldment of a Higher Consciousnessである。魔術の目的とよく考えられている物質的願望達成や不可思議な技を行なうことが魔術の目的ではない。それらはあくまで付随的なもの、あるいは手段にとどまる。なお、ここに自由いうとは、物理的な貧困や欠乏からの解放のみならず、精神的な苦痛からの自由をも含む考えで、よく言われる「他の掣肘なく物事を行なえる」という意味の自由ではない。
黄金の夜明けのニオファイト(新参入者)儀式閉式の最後においては、下のように表現されている。
われらが食せしものにより、われらに≪精髄≫すなわち≪哲学者の石≫の探求を続けさせたまえ。≪真の叡智≫、≪完全なる幸福≫、≪真善美≫の探求を。しかし、まだ領域として広い。より狭い領域、黄金の夜明け魔術の体系について権威筋の意見を聞いてみよう。
全書上, 191.
黄金の夜明け魔術の一般への紹介者である故イスラエル・リガルディは、魔術、大いなる業(Great Work, Ars Magnum, Magnum Opus,)、より正確にはGD体系の目的は
人を全き者にすること…自分の存在意義、自分の重要性、人間としての仕事についてより深い洞察を与えること リガルディ 最後の覚書(1992) p.172と定義する。
全き者、即ち完成された人間とは、「自分の性質全体のあらゆる隠れた面を知り、それを意のままに活用する方法を知る人」であるとする。
そして、リガルディは、GD体系がある特定の訓練、瞑想、そして儀式の三つを「非常に熟練した方法で組み合わ」し、それによって「自分自身の成長に参入し、真の自分になろうとし得る能力のある学徒は、この膨大な知識を授かり、それを自分自身に適用し、それによって、――<小達人位階>の一節を借りるなら――徐々に自分自身をその必要不可欠な神性と合一せしめ、かくして人間以上のものとなる」ことを手助けをすると考えている。
リガルディの全き者の定義と所謂自己実現の考えとの類似性を見た場合、魔術は多く精神分析学や分析心理学といった深層心理学と領域を接する。ただし、魔術ではシンボルなどをただ人間の性質のみを表しているとは考えない。また、人間を含め全ては一者の顕現であると言った考え、あるいは上下一如を強調する。なんらかの心霊的な諸力と存在を前提或いは仮説として広く受け入れるのである。人間と宇宙のコレスポンダンスを強く主張する点で多くの心理学者と立場を異にする。
魔術では多様なシンボル、神話、寓話そして教義が人間と世界の性質の各局面を表していると一般的に考えている。魔術ではそれらへの理解と共感によって自らの意識に連想を形成し、象徴などの操作によって自らの意識に変化・変容を形成し、高次の意識、真の自己、全一、神との合一あるいは同一であることを認識・納得させるのである。